法輪寺の歴史

昭和8年、当時代議士に就任中の鷲沢与四二氏土地開発の為に、目黒不動尊と呼ばれる東京都目黒区滝泉寺貫主、青木道光僧正の好意によりその立前不動尊(全長五尺八寸:176cm、徳川中期時代作)を安置し、天台宗に属し壽宝都不動教会を設立して布教につくせり、大東亜戦たけなわとなり滝泉寺もまた、戦災の厄に羅りたるため自然と布教も休止状態となる爾后、鷲沢氏並特信の方々の参拝のみとなり戦後は鷲沢氏の維持によりて至り、昭和31年の5月、真言宗泉涌寺派 熱海不動尊真言寺住職 伊奈衆道(のちに伊奈霊法)大僧正に一任せされ寺門の興隆をはかり修復を加えて面目を一進された。
その後、平成18年5月伊奈霊法大僧正入滅。同年所在地を現在の東京都町田市に移し、伊奈瑠璃僧正により現在に受け継がれる。

本山について

東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ泉涌寺。ひろく「御寺(みてら)」と親しまれている当寺は、天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来する。
順徳天皇の御代(建保6年・1218)に当寺の開山と仰ぐ月輪大使俊?が時の宋の法式を取り入れてこの地に大伽藍を営み、寺地の一角より清水が湧き出た事により寺号を泉涌寺と名づけられ、この泉は今も枯れることなく涌き続けている。時の皇室からも深く帰依せられ、仁治3年(1242)に四条天皇が当寺に葬られてからは、歴代天皇の山陵がこの地に営まれるようになり、以来皇室の御香華院(菩提所)として篤い信仰を集めている。当寺が「みてら」と呼称される所以である。

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http://www.mitera.org/

住職紹介

真言宗泉涌寺派 厄除け不動尊法輪寺住職。
”小嵐のお不動さん”と親しまれた静岡県熱海市の真言寺住職伊奈霊法大僧正の次女として生まれる。
華道・書道の師範資格を持ち、得意な料理は特にプロ級の腕前。
小柄な体形からは想像できないが、学生時代はバスケットボール一筋という超スポーツ系ウーマン。
そんな姿から、身軽な身のこなしは先代住職と瓜二つと言われるが、尊敬する父であり師匠である伊奈霊法大僧正をめざし、お不動様のお導きを頂き、信徒のみなさまのお力になれるよう炎燃え盛る護摩壇の前で日々奮闘中!!